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第1作の『日本解放戦線・三里塚の夏』以来小川プロの「三里塚」シリーズは、観られる時代によって、受け取る側の力点というか、気持を寄せる方向が、変わっていった。小川プロは、『三里塚の夏』が完成すると、すぐに上映活動を始め、それを全国展開していく。上映場所は、公会堂や公民館、特に、バリケードで囲まれた大学の講堂など。時代は、ベトナム反戦運動や学園闘争が拡がった1960年代末である。その時、『三里塚』シリーズは、まず、なによりも、新空港建設を強行し、自分たちが育ててきた土地を奪おうとする国家権力に対する、農民の果敢な戦いの記録として観られたのである。
三里塚に住み込み、反対運動する農民たちに寄り添い、一貫して、農民の側から撮る、という小川紳介ら小川プロの姿勢から描き出された記録映画として受け入れられ、時に、異議なし、という声がかかったりした。むろん、その時も、卓抜な撮影、編集による作品の力強さは、感受されていたはずだが、それ以上に、闘う農民の姿に視線が集中していたのだ。そのような観客側の受容のありかたが変わっていくのは、小川プロが、三里塚から山形県の牧野に移り、農業を実践するようになった1970年代半ば以降であろう。そこから、『三里塚』シリーズも、記録を超えた作品そのものの力が前面化する。
確かに、『三里塚』シリーズは、小川紳介の他の作品と同様、優れたドキュメンタリー映画として受容され、その映画としてのありようが分析されるのも当然といえよう。また、それについて、三里塚闘争が歴史の一幕として後景に退いていくのも、ある意味、やむを得ない。まして、成田空港開港から半世紀が経とうとしている現在なのだから。だが、国家が社会の現代化を進める中で、どんな犠牲をしいたかを忘れてしまったら、今を生きる人間としての根拠もまた失われるであろう。そうならないためにも、改めて、『三里塚』シリーズを、国家に抗った人々の記録として見直すべきではないか。
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