国立映画アーカイブ所蔵作品
麗人 ピアノ伴奏付き上映
(英語字幕付き)
◆温順清楚な女学生・鞘子(栗島)は、知人の学生から乱暴を受けて妊娠するが、彼は彼女を捨て代議士の娘と結婚する。鞘子は一度は人生に絶望するが子供を兄に預け、復讐を胸に社交界の花形になる…。佐藤紅緑原作の壮大なメロドラマ。日本映画初期の大女優・栗島すみ子が熱演。6歳の高峰秀子が男の子役で出演。

戦前の日本映画黄金期を担った島津保次郎監督。時代劇全盛の時代にあって、日常的なユーモアを軽いタッチで写実的に描く「松竹現代劇」の旗手として、〈松竹蒲田調・大船調〉の確立者となる。その門下から五所平之助、豊田四郎、木下恵介など、その後、日本映画の巨匠となる監督たちを輩出。中でも10年間の長きにわたって助監督を務めた弟子が吉村公三郎だった。松竹でサイレントからトーキーと数々の傑作を手がけた島津監督が東宝に移籍したことから、準備していた『暖流』(1939年)を監督に昇進したばかりの吉村監督が撮ることになり、大胆な演出で注目を集め、出世作となる。日中戦争泥沼の時代、突如花開いた恋愛映画の金字塔として、ロングランヒット。戦後も師の〈大船調〉を継ぐ風俗描写の細やかなホームドラマから恋愛映画、さらには骨太な作品まで野心作を次々と発表して戦後日本映画界をリードし続けた。
「映画は枠(フレーム)だ」――島津が東宝に移籍する前に、弟子の吉村に“奥伝”としてそう伝えた。対象をどう切り取り、「フレーム(枠)」の中で描くか、それが映画だと。
2026年夏、日本映画きっての師弟コンビ、島津保次郎監督と吉村公三郎監督作品を一挙上映。それはまさに師弟が切り拓いた日本映画黄金期を横断する試み。日本映画の真髄を再発見する!
国立映画アーカイブ所蔵作品
◆温順清楚な女学生・鞘子(栗島)は、知人の学生から乱暴を受けて妊娠するが、彼は彼女を捨て代議士の娘と結婚する。鞘子は一度は人生に絶望するが子供を兄に預け、復讐を胸に社交界の花形になる…。佐藤紅緑原作の壮大なメロドラマ。日本映画初期の大女優・栗島すみ子が熱演。6歳の高峰秀子が男の子役で出演。
Ⓒ1932 松竹株式会社
◆新派悲劇から現代の人々を等身大に描く「蒲田調」の先駆的存在・島津のトーキー第1作。アメリカ映画スタンバーグ監督『紐育の波止場』(28年)に着想を得たメロドラマで、港に着いた船員(岡)は、身投げしようとした女(水谷)を救う。音と画の繊細な編集に島津の才気が光る。若き初代水谷八重子は必見!
Ⓒ1934 松竹株式会社
◆松竹「蒲田調」「大船調」の原点。島津の代表作であり、松竹蒲田時代に黄金期を迎えた“小市民映画”を切り拓いた記念碑的作品。郊外住宅地で隣同士に住む八重子と恵太郎・精二兄弟は仲がよく、いつも一緒にすごしていた。そこへ八重子の姉・京子が嫁ぎ先から出戻ってきて…。いま見直すべき古典の名作。
国立映画アーカイブ所蔵作品
◆今年生誕140年の谷崎潤一郎。1933年に発表された「春琴抄」を初の映画化。明治初期の大阪・道修町を舞台に、商家の娘で盲目の琴の師匠と、献身的に仕える丁稚の愛の物語。当時大人気の美男美女の高田=田中コンビで大ヒット。芸術か娯楽かで北川冬彦と論争になるが、島津の反論を書いたのは弱冠24歳の助監督・吉村だった!
Ⓒ1936 松竹株式会社
◆横光原作をもとに、東京・兜町と大阪・北浜での熾烈な株屋同士の争いと、恋の行方を描いた壮大なメロドラマ。株屋に扮した佐分利のほか、豪華俳優が総出演。原節子以前に「永遠の処女」と呼ばれ26歳で夭逝した及川道子の遺作。36年1月に蒲田から大船に撮影所を移転した第1作で、初の開所記念映画となった。
国立映画アーカイブ所蔵作品
◆前作同様、大船撮影所開所を記念して“青春の花園”といわれた松竹の看板俳優たちが多数出演する元祖オールスター大作。レビュー劇場を巡って、三組のカップルのそれぞれの「男性対女性」の恋模様を描いた恋愛映画。レビューシーンでは、当時人気の水の江瀧子ら松竹歌劇団も特別出演。松竹現代劇の一大デモンストレーション!
国立映画アーカイブ所蔵作品
◆会社重役の娘・千晶(高杉)は深夜に強盗に襲われたと新聞記事になったことから、知人の戸山(上原)のいる大阪へと逃がれる。ところが彼の周りでは下宿の娘(高峰)、婦人雑誌の女社長(東)ら、様々な女たちの欲望が渦巻いていた…。東京、大阪の風俗描写満載の「朱の巻」「緑の巻」の2部からなる大作。
Ⓒ1927松竹株式会社
◆当時「松竹三羽鳥」と言われていた上原謙、佐分利信、佐野周二が颯爽と揃い踏みしたロマンチックコメディ。就職難の時代、銀座の会社に入社した三人はそれぞれ婚約者がいるにもかかわらず、美人で奔放な社長令嬢(高峰)との恋を争って…。モダニズムに富んだ戦前の大船映画の特色を存分に味わえる大ヒット作。
Ⓒ1939松竹株式会社
国立映画アーカイブ所蔵作品
◆妻(三宅)と妹(桑野)と暮らす青年社員(佐分利)がいわれなき中傷にさらされながらも実直に生きていく姿を描いた「小市民映画」の名編。自身のオリジナル脚本をもとに、人物の機微を丁寧に映し出す島津の手腕がいかんなく発揮され、この後、東宝に移籍する彼の松竹最後の作品にして傑作となった。
Ⓒ1921 松竹株式会社
◆近代演劇の先駆者で"新劇の父"小山内薫が、松竹キネマ俳優学校の校長として招かれ、松竹キネマ研究所を設立して製作した映画黎明期の画期的な作品であり、日本映画史上に残る永遠の古典。当時話題のグリフィスの『イントレランス』に影響され、2つの物語を並行して描き、寛容と不寛容をテーマにした高踏的な作品。それまでの「活動写真」が「映画」になったと、現在に続く日本映画(現代劇)の原点となった必見作。1921年こそ、新しい日本映画が産まれた年と言えよう。島津が照明・助監督で参加している。

1897(明治30)年6月3日、東京日本橋の老舗海産物商の息子として生まれる。英語学校在学中から映画にのめり込み、松竹が映画事業に乗り出すことを知り、20年、創設間もない松竹キネマ蒲田撮影所に小山内薫の門下生として入社。日本映画史黎明期の記念碑的作品となった小山内のキネマ研究所第1回作品『路上の靈魂』(21年、監督:村田実)の照明&助監督として参加。22年松竹蒲田撮影所に戻り、牛原虚彦の助監督を経て監督に昇進。伊藤大輔が脚色した『山の線路番』(23)『自活する女』(同)などで認められ、松竹蒲田を代表する監督のひとりになる。23年9月1日の関東大震災によって撮影所が壊滅、多くの映画人が京都へ移るも東京に残る。松竹の新撮影所長となった城戸四郎と運命的な出会いを果たし意気投合。新派悲劇路線から日常性あふれる現代劇への転換を計り、蒲田調と呼ばれるサラリーマンや庶民の日常生活を描く“小市民映画”を確立。島津は演劇の模倣から抜け出し、現代的な映画の視覚的表現と演技の指導を確立した屈指の監督となった。サイレント時代の代表作に『村の先生』(25)、吉村が初めて助監督として付いた『多情仏心』(29)、『麗人』(30)などがあるが、トーキーになってから新境地を開き『上陸第一歩』(32)、『嵐の中の処女』(同)に続き、『隣の八重ちゃん』(34)では独自のトーキーリアリズムを完成させるとともに、松竹ホームドラマ=蒲田調を確立。『お琴と佐助』(35)などのあと、撮影所が蒲田からトーキー完備の大船へ36年1月に移転。移転後第1作『家族會議』、続いて『男性対女性』の2本の「開所記念作品」を手掛ける。『婚約三羽烏』(37)を経て、『兄とその妹』(39)ではその技法は円熟の境地を極め、ホームドラマの一つの到達点となった。その後、岸田国士原作の『暖流』を準備しながらも東宝に移籍することになり、『暖流』は弟子の吉村が監督することになる。1939年に東宝へ移籍した後も、『白鷺』(41)『闘魚』(同)など質の高い作品を監督するも、太平洋戦争の激化と健康悪化により製作本数が減り、敗戦直後の1945年9月18日に病死。享年49という早すぎる死は日本映画界にとって大きな損失だった。80本以上の作品を残し、44年の『日常の戦ひ』が遺作となった。彼の下で修行を積んだ助監督は数多く、松竹では五所平之助、豊田四郎、吉村公三郎、木下恵介、東宝では谷口千吉、佐伯清、関川秀雄らがいた。松竹ホームドラマ=蒲田調の体現者であった島津の作風は、弟子たちに受け継がれ日本映画の本流を形成してゆくことになる。写実的な映像表現と温かなヒューマニズム、そしてユーモアとペーソスが絶妙な語り口は、時代を超えて観る者の心に響くとともに、その作品群は重要な文化遺産といえる。
Ⓒ1939 松竹株式会社
◆師匠・島津保次郎が準備しながら東宝に移籍したため、代わって弟子の吉村が映画化。新人吉村が持てる技巧のすべてを傾注し、一躍高い評価を得た出世作。腐敗した病院の建て直しを巡って院内で展開される権力争いを背景に、院長令嬢、医師、看護婦らの絡み合う愛憎を鮮烈に描いた恋愛映画の金字塔。
Ⓒ1947 松竹株式会社
◆敗戦後、華族制度が禁止され、名門・安城家も没落し、抵当に入れた屋敷までもついに手放す時がきた…。安城家の最後の舞踏会を軸に、新旧世代の交代を描き絶賛された初期代表作。吉村が遭遇した出来事をもとに、後に近代映画協会を設立する吉村公三郎=新藤兼人コンビの第1作。吉村に見いだされた津島のデビュー作。
Ⓒ1948 松竹株式会社
◆敗戦前夜の1945年8月14日、和平派の重臣が青年将校に暗殺される。敗戦後、自暴自棄になって暗黒街の用心棒になった男(森)。彼を父の仇とも知らずに愛する今はダンサーとなった重臣の令嬢(山口)。「日本映画離れした」火の出るようなラブシーンが話題を呼んだ代表作。GHQにより社会批判の部分がカットされた。
Ⓒ1949 松竹株式会社
◆会社重役で封建的な夫(佐分利)に虐げられる妻(高峰)が、病身の弟を見舞いに行った病院で、弟の友人の新聞記者(宇佐美)と知り合う。夫が誤解からふたりの仲に嫉妬したことから…。「喜劇」とあるが、妻の浮気を疑い逆上する佐分利が怖い…(笑)。やはり最後は女性が強い! 解放感あふれる女性の自立もの。
Ⓒ1949松竹株式会社
◆吉村初の時代劇は、脚本の新藤と共に「ヤクザ」の研究から現代風に組み立てていったドライな喜劇で、溝口健二の美術スタッフとの始めての仕事となった名作。清水次郎長一家に入った石松が、生来のドジぶりが災いして失敗ばかり…。人間石松を描くが、興行的には不入りで松竹退社のきっかけとなった。
ⒸKADOKAWA 1952
◆敗戦後の移り変わりゆく日本の姿を捉えたチェホフ的世界。没落する西陣織の旧家の三姉妹のそれぞれの生き方を端正に描く。吉村のひとつのテーマともいえる新旧の価値観の相剋を、古都京都を舞台に健気な女性たちを通し、哀切に克明に描いた傑作。宮川を始め大映技術陣も高く評価された。
ⒸKADOKAWA 1953
◆敗戦から時が経ち日本美復興を目指し茶道の世界を描いた川端原作を、モダニスト吉村が映画化。鎌倉・円覚寺の茶会で、今は亡き愛人の息子と出会い強く惹かれていく女性と、彼女をめぐって展開する愛憎劇を、茶の湯の主題とともに描く。小暮・乙羽の演じる同じ男を慕う母娘の哀切さと、杉村春子のドライな演技が出色。
Ⓒ近代映画協会
◆島崎藤村の代表作の映画化。幕末から明治の木曽馬籠の本陣宿を舞台に、民衆の側から見た明治維新を描いた名作。滝沢修ら劇団「民藝」総出演で現地に長期ロケを敢行し、時代考証にも完全を期すなど、吉村にとって「やりたいとこをやった」唯一の作品となった。次代に伝えるえるべき吉村渾身の歴史大作!
Ⓒ近代映画協会
◆昭和10年代初頭の東京・本郷を舞台に、苦学生の絶望からの再生を描く秀作。田宮虎彦の3つの短編をもとに新藤兼人が脚色。軍国主義の暗い谷間の時代に、絶望にさいなまれながら生きる主人公の青年に、監督の吉村自身の青春を投影し、心情味あふれる傑作に仕上げた。本郷菊坂や四国足摺岬などの風景も貴重な映像。
Ⓒ日活
◆銀座にほど近い置屋を舞台に、老後を気に病む女将(轟)と、彼女に学資を借りながら小説を書く身勝手な青年(長谷部)との関係を軸に、芸者や見習い、バーのマダらの哀歓を描く女たちの群像劇。終盤、犯罪コメディに軽やかに転化する趣向が鮮やか。吉村+新藤の黄金コンビの陽性な面が出た佳作。
ⒸKADOKAWA 1957
◆大正期の金沢を舞台に貧しい者と富める者の群像を、花街で母(田中)と暮らす貧しい中学生(川口)と、家に逃げ込んできた娘(香川)、さらに令嬢(野添)の恋愛を軸に描いた力作。混沌とした時代情勢を背景に、主人公の葛藤を描く。吉村は初恋の思い出を野添に投影、自身好きな作品と語る。田中絹代の母親像が秀逸。
ⒸKADOKAWA 1959
◆226事件を背景に貴族と軍閥の暗闘を、一人の令嬢をめぐる複雑な人間関係の中で描く武田泰淳原作の政治劇。青年将校たちによる反乱の機運が高まる中、青年男女の悲恋と苦悩─。進歩的貴族で貴族院議長の父に森雅之、近衛の見習士官の息子に本郷功次郎、叶順子が森・本郷父子の間で揺れ動く悲劇の娘を演じる文芸大作
Ⓒ1960 松竹株式会社
◆京都の老舗和菓子屋に相続人として継ぐことになった現代娘(岡田)が、京菓子の伝統に魅せられてゆき、亡き母(乙羽)の恋人だった版画家(佐田)に心惹かれながらも、次第に京おんなとして成長していく姿を描く。『偽れる盛装』から『夜の河』にいたる「京都風俗シリーズ」の仕上げとした意欲みなぎる秀作。
ⒸKADOKAWA 1963
◆『女経』に続く大映の名監督によるオムニバス映画で、「嘘」をテーマにした短篇集。吉村は第2話の「社用2号」を、珍しく新藤ではなく笠原良三脚本で演出。愛人(叶)と手を切ろうと社長(益田)が仕掛けた「嘘」に愛人が乗せられて若い社員(川崎)と関係をもって…。新藤は衣笠演出の第3話を担当した。
Ⓒ「襤褸の旗」製作委員会
◆明治政府を相手に足尾鉱毒事件を闘った田中正造の生涯を描く力作で、主演の三國の熱演に圧倒される。明治期の反体制派群像でもあるスケールの大きな作品。田中の純粋で一途な人間像が、病魔に倒れつつ不屈の決意で映画を撮り上げた吉村とも重なる渾身作。撮影の宮島に支えられながら、吉村最後の監督作品となった。

1911(明治44)年9月9日、滋賀県膳所町(現大津市)生まれ。父は新聞記者から、大阪市助役、広島市長、北海道尺別炭鉱の重役などを歴任。これに伴い京都、広島など各地を転々とし、東京に越した後、関東大震災に遭遇。父の郷里・滋賀県山東町に転居し、岐阜の旧制大垣中学に通うが、16歳のときに横暴な教師の排斥運動に加担して放校された後、東京の私立日本中学へ転校。広島時代にチャップリン作品に感銘を受け、以降も映画に魅せられる映画青年となった。旧制高校入試に失敗し、親戚のつてで、29年松竹蒲田撮影所に入社。島津保次郎の組に入れられる。島津の一番弟子は五所平之助、二番弟子に豊田四郎、客分の助監督に成瀬巳喜男がいて、吉村の後には木下恵介、中村登がつくという錚々たる門下だった。しかし、島津は助監督を酷使することで有名で、そのつらい修行時代を10年間も耐え抜いた。32年に軍隊にも入隊しているが、島津組のほうがもっと辛かったと後に語っている。島津には『多情仏心』(29)から『浅草の灯』(37)までの全作品につき、35年の『お琴と佐助』では批評家の北川冬彦から「谷崎文学に肉薄し得ず」と評され島津と論争になるが、その反論は吉村が代筆していた。39年『女こそ家を守れ』で監督デビューすると、たちまちその年一気に5本の作品を監督。5本目として東宝に移った師の島津が撮る予定だった岸田国士原作の『暖流』を撮り、新人離れした演出でキネマ旬報ベストテン7位に選出されるなど一躍注目を集める。40年、上原謙主演の『西住戦車長伝』は同2位に入る。43年10月、撮影中に赤紙が届き出征。南方戦線に派遣され、終戦後はバンコクで捕虜生活のあと、46年7月復員。松竹大船に復帰し、初めての新藤兼人脚本による『安城家の舞踏会』(47)が絶賛される。以後、新藤とコンビを組み『わが生涯のかがやける日』などで松竹のドル箱監督として活躍するが『森の石松』(49)の興行的失敗を機にコンビ解消を迫られるや共に退社し、近代映画協会を設立。念願の企画『偽れる盛装』(51)を製作した大映を中心に『源氏物語』(同)、『夜の河』(56)、『婚期』(61)などの傑作を連打。新藤とのコンビで、女性映画から文芸作、社会派作品までそのジャンルは多彩で、特に女優を美しく撮ることには定評があった。日本映画全盛期の50年代、大映では日本一の監督料の人気監督となった。しかし、63年に脳出血、病が重なり、74年に『襤褸の旗』が最後の映画作品となり、その後はテレビドラマや文筆で活躍。数々の著作を出版し、師・島津との師弟の映画愛を書き残した。2000年11月27日に急性心不全のため逝去。享年89。『映像の演出』『キネマの時代』『映画は枠(フレーム)だ』など名著も多い。
7/25(土) 13:55『隣の八重ちゃん』上映後
ゲスト:ミツヨ・ワダ・マルシアーノさん(京都大学教育改革戦略本部特定教授)
8/1(土)11:45『西陣の姉妹』上映後
ゲスト:木下千花さん(映画研究、京都大学教授)
8/11(火)13:50『千羽鶴』上映後
ゲスト:藤井仁子さん(早稲田大学文学学術院教授)
『路上の靈魂』
7/25(土)12:10、7/26(日)16:20、8/2(日)12:55
『麗人』
8/8(土)12:10、8/9(日)16:10、8/23(日)14:10
ピアノ演奏 鳥飼りょうさん(楽士)
国立映画アーカイブ(NFAJ)作品/生ピアノ演奏付き上映
一般1900円、シニア1600円、学生・会員1500円、ハンディキャップ1000円
※各種割引なし、招待券・回数券使用不可
一般1600円、シニア1300円、学生・会員1200円、ハンディキャップ1000円
一般5回券7000円、シニア5回券6000円、会員5回券5500円 (5回券は全ての作品にご使用いただけます。)
※5回券は複数人数で使用不可
※トークショー付きの回は招待券・回数券使用不可
※ご鑑賞の7日前から窓口とオンラインでチケットのご購入が可能です。ご鑑賞当日はオンライン予約の方は専用窓口で発券、当日券の方は窓口で指定席をお選びの上、開始時間の10〜15分前からご入場いただきます。
<全席指定席>となります。満席の際はご入場出来ませんので、ご了承下さい。
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