ジャック・リベット監督
1928年3月1日フランス・ルーアン生まれ。
ヌーヴェル・ヴァーグを牽引したひとりであり、その母胎となった「カイエ・デュ・シネマ」誌の編集長を'63年から'65年までの2年間にわたって務めた。
薬剤師の息子として生まれ、早くから映画に情熱を燃やすようになる。ルーアンにいた'40年代後半の十代の頃からシネクラブを主宰するほどだった。ソルボンヌ大学入学とともにパリに出、'49年には最初の短編『Aux
quatre coins』を撮る。その頃、エリック・ロメールと出会い、映画批評誌「ラ・ガゼット・デュ・シネマ」の創刊に参加。また、これを母胎として'51年に「カイエ・デュ・シネマ」誌が生まれ、アンドレ・バザンの旗のもと、リヴェット、ロメールのほか、若きゴダール、トリュフォーらが集うとともに、のちのヌーヴェル・ヴァーグ運動の発火点となった。
映画批評活動と並行して短編の制作も推し進め、'56年には『王手飛車取り』を発表。だが、長編を撮る機会になかなか恵まれず、'58年に撮影を開始した『パリはわれらのもの』は'60年にようやく完成。
’66年、待ち望まれた第2作『修道女』を完成させるもフランス国内では上映禁止になるなど苦難を強いられる。
さらに'68年には『狂気の愛』、'70年には12時間にわたる長大な『アウト・ワン』を撮り、実験的な手法を駆使した作品によって評価を集め、'74年『セリーヌとジュリーは舟でゆく』、'75年『デュエル』などの傑作を発表。
さらに’80年代には、’81年『北の橋』、'83年『地に堕ちた愛』、'88年『彼女たちの舞台』と、極端な実験性から脱皮した、
しかしなお〈陰謀〉や〈秘密結社〉といったリヴェット的テーマも色濃いリヴェット的な作品を連打。
'91年には『美しき諍い女』で話題となり、カンヌ国際映画祭のグランプリを受賞。
また'94年のジャンヌ・ダルク2部作『ジャンヌ/愛と自由の天使』『ジャンヌ/薔薇の十字架』では、壮大な史劇を撮り、一方、その翌年の『パリでかくれんぼ』では、『彼女たちの舞台』を引き継ぐような軽やかな少女たちの世界を見せた。
そして'01年の『恋ごころ』では軽妙なコメディ・センスを覗かせる作品を撮り、巨匠の恐るべき力量を示した。